一年の計 (7)一人の思いが社会を動かせる 地域医療に貢献する 一年の計 (7)一人の思いが社会を動かせる 「自分は残りの人生で何をすべきか、何をしたら納得のできる人生だったと満足を得られるのだろうか、自分は何をしたいのか?、何かをしなければ、と模索し続けていた。」 上記の発言は、「タイガーマスク基金」発起人である高森篤子さんの人生に対する思索を示す発言です。誰もが一度は上のような事を考えることがあるのではないでしょうか。 (A) NPO法人タイガーマスク基金とは 上記NPO法人の概要を見ると、その目的は以下のように示されています(一部、省略)。 「児童養護施設の退所者や社会的養護が必要な子ども・若者に、生活自立、学業、就労、家族形成、社会参画などの支援を総合的に行い、広く一般にこの問題を提起し、児童養護施設や自立援助ホームなどが抱える課題の根本解決を図ることを目的とする。」 私は、この目的の中には次の大切な特徴が含まれていると考えます。 1) 一般社会人が目を向けていない自立にもがく若者(保護者のない児童、被虐待児)を支援する。 2) そのような若者に支援しても、自ら(NPO自身)の経済的な収益は望んでいない。 3) しかし、一般社会人の中にも、陰ながら応援したいと考える潜在力を引き出している。 一般的な考えでは、何かを行おうとする時、最低限、赤字を出したくないと考えます。 しかしながら、上記の基金の目的は、利益を得ることではなく社会に巣立つ若者(保護者のない児童、被虐待児)の支援が何よりも優先している事です。 保護者のいない環境で育ち、この支援を受けた子供達は、社会に対する希望、生きる勇気や支えてくれる人達にどれ程大きな愛を感じるでしょうか。こういった活動が全国に展開しました。 この活動は恐らく、当初考えていた目標さえも飛び越えて、施設で育った子供のみならず、周囲の大人達の意識まで揺さぶった結果、社会をも動かすばかりか、受け止めた子供達の未来にも希望を与えたのではないでしょうか。 (B) 最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。(聖書、マタイ25・40) 上記の「最も小さい者」とは、重い病気のある人や経済的、社会的に恵まれない人々、親切にされたり施し(ほどこし)を受けてもお礼が出来ない程、弱い立場の人々、困っている人々を意味しています。 「私にしてくれたことである。」の私とは、迫害を受け、命をねらわれていたイエスキリストを指しています。 迫害を受けた理由は、ユダヤの戒律を否定したイエスに市民が注目したことで、支配者であるローマ帝国にとって、イエスの存在は邪魔だったからです。イエスの教えを指示し、従った人々や弟子達にもイエスは裏切られます。このイエスのような不利で弱い立場の者、多くの人が避けようとしている人、社会的に弾圧を受けている人には、誰も助けようと近づこうとしません。 このような誰からも救いの手を延べられない人に対して救いの手を伸ばす行為は、「見返りを求めず、真の愛に基づく行い」を指しています。 まさに、タイガーマスク基金の行いは、親のいない環境で育った社会的・精神的・経済的にも不安で将来にも希望を持てないでいる弱い立場の子供に対して行う支援です。このような子供達に対して「見返りを求めない真の愛」を示している行為ではないでしょうか。 (C) 出来るところから一歩踏み出す 初めの一人の思いと行為に対して、陰ながら多くの大人達が賛同し、動き始めました。 そして日本各地で、「孤児を無条件で支援する伊達直人」と言うマンガの主人公であるタイガーマスクが現れました。 賛同し、共感した各地の伊達直人たちは、それぞれが人生に耐えたからこそ生きる大変さが解り、孤児院の子供達を支える活動に、魂を揺さぶられたのではないでしょうか。 ここで私が注目したい点は、利益よりも社会正義や社会が必要としている事に行動を起こせば、共感を得られ、社会を動かせる可能性があるのではないかと言うことです。社会正義と言えるかもしれません。 出来ることから一歩踏み出しましょう。 そのためにもこの「一年の計画」をお考えになるとき、「残りの人生において自分は何をすべきか、何をしたら納得のできる人生だったと満足を得られるのだろうか、自分は何かをしたい、何かをしなければ、と模索して頂ければ幸いです。」 児童養護施設で暮らす子供達にとって全国の伊達直人の行為は、「地上に降りてきた星」のように思えたかも知れません。 中島みゆきの「地上の星」を全国の伊達直人に贈りたいと思います。 このシリーズを一端終了します。