各国の夏休みを比べて思うこと
各国の夏休みを比べて思うこと
2019年7月に情報を少しだけ更新させて頂きました。
100年前の夏休み
・・・・これだけでは生活実態が今ひとつ物足りないので「お年よりに聞いた昔のくらしと、今のくらし」を見つけました。
これらのリンクを閲覧して、現在と過去とを振り返って、近くの高齢者に話を聞いてみた感想を並べ見ました。
・電気がなかったので、当然、エアコンなどない。 ・・・風通しのよい場所を見つけたり、川遊びで涼んだ。
・車がなく、どこへ行くにも基本は徒歩。 ・・・・・行動範囲は歩いて行き、帰ってこられる範囲に限られた。
・食べ物は田畑に植えたもの以外は、釣った魚や魚介。ハチやバッタも食べた。 ・・・動くもので口に入るものなら何でも食べた。
・休みは家の仕事の手伝いや兄弟の世話が当たり前。 ・・・・・家族ずれで出かけることなど、法事などの冠婚葬祭くらい。
・働き詰めの親を見て育ったので、大人になったら自分も家族のために働こうと思って過ごした。 ・・・・子供に出来ることは少なかったので、親の言うことを聞くことしか、頑張って出来ることはなかった。
・親戚や家族が戦争に行き、いずれは自分も行かなければならないと思って過ごした。 ・・・・・戦争に取られて悲しいのに口に出せずに、親も子も、誰もが言いたいことを言えなかった時代があった。
・・・・さて、現在、90代の方々は、今の時代をどう見ておられるのだろうか?
・何でも簡単に手に入り、いつでもどこへでも自由に出かけられ、家族と一緒に過ごすことも難しくはなくなった。
・その一方で、家族を思いやる気持ちが薄れ、遊びに連れて行ってもらうことを当たり前のように思う育ち方をしているのに、ヒトのわがままには際限がないのだなと思う。
・自由に何でも言える社会にはなったが、口に出すことも出来ず、悲しみや苦しみに耐えながら生きているヒトが多かった時代の方が、お互いを思いやる気持ちはあったように思う。
・苦しいからこそ、家族や兄弟、親戚が励まし合って、気持ちの上で支え合って生きてきた事を思うと、そこそこの生活なら出来そうなのに、働かないヒトが多そうに見えるのは理解できない。
・戦争の手伝いをさせられないだけでも、今の人達は幸せのはずなんだけど。楽して豊かになろうとしているかのように見える。
・昔は、貧しくて犯罪を起こす人はいたけど、何でもあるのに高齢者をだましてお金を取るなど考えられない事が珍しくないように思える。
さて、経済的にも世界から羨望の目で見られている日本社会ですが、その日本で暮らす多くの日本人の幸福感はどうしてこんなに薄れているのでしょう?
それが何かは、また別の機会に考えてみましょう。
------以下の内容は2011年7月に掲載したままです。----------
夏休みのない国もある
これら16カ国の中で、夏休みがないのはケニアのみである。
次に短いのが日本のようだ(社会人では)。
思わず、夏休みの短さでは「世界第2位?かも知れない。」と思うと、「1位でなければならないと思わないで欲しい。」 イヤむしろ、「3位でも4位でも、入賞?を逃しても構わない。」とさえ思う。
これまで当たり前のように働いて来たが、多くの国ではもっとゆったりとした時間を保ちながら人生を送っているように見える。
休まないのは美徳?
有給休暇さえほとんど消化しないまま、定年までひた走りに走り続け、定年を迎えると何をして良いのかわからないのが日本人かも知れない。
多くは定年後も働きたいとさえ考えるようだが、その理由は、経済的な支えを確保したいからだけではなく、休暇の過ごし方を知らなくて退屈するからかも知れない。
もちろん、周りの国の事など気にする必要はなく、自分自身が休まずに働き続けることの意義と人生のバランスを考えた上でのことなら、働くことも選択肢の一つだろう。
しかし、実態は周りが休まないから休みにくい、と言う会社間の事情の方が上回っているように思える。
すなわち、主体的に休むと言うことが出来ないのが日本人なのだろう。
結局の所、皆が休むときに一緒になって休むから、どこへ行っても混み合う始末だ。
その背景には、休まないことを美徳とする観念が植え付けられているように思えないでしょうか。
今回の原子炉事故で会社の休みが木・金になったのは、もちろん主体的に選択したからではなく、電力事情からであることは明かである。
混み合っていても一緒に休む
三重県のNHK津のCMに「いつでも、どこでも一緒ヤニー!(三重弁らしい)」と言っているが、どうもこれは混み合おうが、渋滞しようが一緒が一番良いことらしい。
子供の頃、「勤勉は成功の母」、皆勤賞 など、休まず働くことを模範として教え込まれた結果が、今の日本社会なのだろう。
まだ定年を迎えてはいないが、定年になったら「もう働けなくて申し訳ない。」などと思ってしまうのだろうか。
話はそれてしまったが、「もし夏に他国並みに1~2ヶ月休めば、原子炉はいらなかったのに」と思うようでは「勤勉」とは言われることはないだろう。
長い夏休み過ごす国から見れば、「日本は夏休みが増えて、原子炉の危険性も回避でき、農業畜産品の汚染の心配もなく、海水浴も楽しめるのだが、日本社会はどうも難しい原子炉を危険を顧みずに運転し、休みなく働くことを選択している。」と思われているかも知れない。