衣食足りて礼節を知る (4)礼節と経済利益率
衣食足りて礼節を知る (4)礼節と経済利益率
(A) 礼節と経済利益率
礼節を知る国民が、安くて良い物、より安全な物を購入する事で、良心的な製造メーカーや良い生産者を育てるものの、経済効率(利益率)の面からは必ずしも効率的ではありません。
つまり経済効率を優先する事で、「ホテルの食品偽装メニュー」、「消費期限、製造日、原材料表示偽装」、「料亭の食品使い回し」、「大手銀行すべてで反社会的勢力へ融資」、 「福島第一原発周辺におけるいい加減な除染作業」などは、いずれもより効果的に利益率を上げるために「礼節をすてた」例ではないでしょうか。
日本の経済成長は、多くの国民に受け入れられるばかりか多くの国々の経済発展のモデルとしても評価され、発展途上国の人々が羨むほど物質的に豊かな国になりました。
今、2012年からの安倍政権も経済発展を第一目標としていますが、私達は「衣食足りて」、この先「礼節」をどうするのでしょうか。
(B) 「売り家と 唐様(からよう)で書く 三代目」
順境あるいは順調の時は、何もかもうまく行っている場合です。しかしながら逆境の時の方がまともな人間が育つ事は、よく知られています。
「家貧しくて、孝子育つ」との言葉は、家が貧乏なら子供も家計の助けに働かなくてはならない。この手助けは親孝行にも通じる事を指しています。
また、「売り家と 唐様(からよう)で書く 三代目」との古川柳も、同様です。
唐様(からよう)とは、江戸時代の学者間で流行した中国風の書体の事をさしています。このような唐様文字が書けた人は、江戸時代に相当な教養を身に付けた人(=お金があり、その時間が取れた人)でもあると考えられます。
この事から、初代や二代目が必死で築き上げた大きな店を、その苦労を知らない三代目が放蕩(ほうとう=遊びふけること)もしくは店のやり方を間違えて全ての財産を散在し、結局残ったのは住んでいる家だけになり、それも売りに出すことになってしまった。でも、それまでの間に文字だけは教養で覚えた洒落た唐様文字で「売り家」と書いていると言う皮肉のこもった内容だと思います。
(C) 飽食時代の礼節は
衣食足り過ぎて、礼節を忘れ、飽食の時を迎えた現在、政治家や官僚にも三代目が次第に目立ってきていないでしょうか。
人として大切な品性は、貧しかった頃は自然に身についた部分も少なくなかったように思えますが、飽食の時代を迎えると、それらの品性は否定され、待てない、我慢しない、すぐ切れて、協調性のない人が多数現れていないでしょうか。
この根本原因は、利潤追求の自由が保障されている経済活動において、外からは見えにくいところで法の網の目をくぐるような方法や考え方、あるいは言動、または違法すれすれの所で果てしなく利益を追求する大人の言動が、子どもに影響し、礼節やモラルよりも利益が優先し、その利益(経済力、お金の力)で自己中心的な考え方をする生き方になった結果であると考えられないでしょうか。
利益を得た事を成功体験ととらえるなら、それまでの手段や経緯が正当化され、手にした経済力は自我を際立たせ、さらに自己中心な考え方を「正しい方向性」と錯覚してしまうからです。
すでに日本社会は至るところで、「タマシイを抜かれて」いないでしょうか。
(D) 礼節を保つには
このサイトでは、過去に「タマシイを抜かれた人々」を紹介してきました。
彼らを反面教師とするか、あるいは「人の振り見て我が振り直せ」と言われないよう「タマシイを保ちたい」ものです。
タマシイを抜かれた人々
タマシイを抜かれた人々(2)
タマシイを抜かれた人々(3) ・・・・タマシイを抜かれないようにするには
タマシイを抜かれた人々(4) ・・・・タマシイの保ち方