「神話の国」づくり (6)歴史を学ぶ意味
「神話の国」づくり (6)歴史を学ぶ意味
2014年1月19日、エコノミックニュースによると、文部科学省はグローバル人材育成のため「英語教育と日本史・武道について必修化」の方向で検討していると報じました。
ここでは、日本史の必須化を前にして、歴史を学ぶ意味について考えてみたいと思います。
歴史を学ぶ意味
日本史に限らず、歴史を学ぶ意味とは一体どういう事でしょうか?
世界史なら世界の、日本史なら日本の「過去の社会の仕組み、文化、制度、法、技術、争いの他、あらゆる過去の記録の中から、過去の失敗を戒めとして、同じ失敗を繰り返さず、より良い社会をつくるために学ぶ」という考えがあると思われます。
これを言い換えるなら、歴史を学ぶ目的は、過去の過ちを学ぶ事により未来をより良くするにはどうすれば良いかを考えるヒントや材料を事例として考えて行く事ではないでしょうか。
もう一つは、過去の歴史のつながりの結果として現在があるのですから、現状がこのような社会の状態であることの理由を知ることも出来るかも知れません。
そればかりか、現状のまま進んでいくとどうなるかや、日本のより良い社会の仕組みや方向性を見出すことで、より平和で、安全で、清潔で、豊かで、平等な社会やその仕組み作りを考えていくときに役立てる事につなげられるのではないでしょうか。
現状の歴史教育
現実の授業はこれらの観点でなされておらず、また、試験そのものも結果的に知識や記憶の量を計っているに過ぎません。
従って現状の歴史教育は、単に過去の事実の暗記テストになっていることが一番の問題であると考えます。
この状態を言い換えるなら、歴史教育をゆがめているのは現状の歴史教育そのものです。
日本各地の武将と言われる「髷物(まげもの)」の活劇をさらにフィクション化して楽しむ前に、もう少し別な角度で捉える目を養う事をおろそかにしていては、「歴史はフィクションで楽しむ材料」にしかなっていません。
過去からどう学ぶのでしょう?
過去の失敗から学ぶことで、同じ失敗を繰り返さないようにという最も大事な視点が欠けているように思えないでしょうか。
そのために必要な情報は、過去の正確で客観性に耐えられる記録です。
国の起こりの記録を「日本書紀」とし、「安全神話」と「年金記録問題」を生み出して、先の大戦の記録さえ残していないようでは、日本の歴史はフィクションでごまかす他ないのかもしれません。
こんな歴史を必須化しても役に立たないでしょう。なぜなら、過去の反省する材料を残してこなかっただけでなく、それらの歴史的証拠を抹消してきたからです。
まずは、先の大戦で召集令状を出した枚数、戦死者数、不明者数及び年金記録問題を明らかにして頂きたいと思います。