「神話の国」づくり (9)誰が記録したか
「神話の国」づくり (9)誰が記録したか
歴史上の事実を誰が記録したか
日本の歴史の記録は、
戦前の記録は、天皇を中心に日本の社会が形成され、天皇の神性と統治の正当性、永遠性を前提に記録されたと考えられますが、殆どの記録とされる資料は、誰が記録したのか必ずしも明確ではありません。当然、その記録の信憑性に関する第三者的な立場からの検証に絶えられる記録ではありません。
戦後の占領時代は、主にアメリカ軍の史観に沿い、満州事変(1931〜1933年)以降から第二次世界大戦(1939年〜1945年)までの、日本が関係した事件、事変、戦争は、すべて侵略戦争であり戦前、戦中の日本の行った各種行為、行動はすべて批判的に記録されたとされています。
しかし、戦前・戦中及び戦争直後、抑圧あるいは弾圧されていた一般国民にとってはそれまでの天皇主権(支配)の国家体制を喜んではいなかったはずですから、日本が変わるなら、その方が良かったのではないでしょうか。
・・・もしその侵略戦争に大義があるなら、当時の記録を焼却処分するような証拠隠滅を行なわずに、「戦争の正当性の事実としての記録」を保存すべきであったと考えられるからです。
戦後の記録は、アメリカ軍を中心とする連合国からの批判を踏まえ、客観性と科学的な検証に耐えられる記録を残すことを指導されたとされています。
この様に、国の状態や立場、時代によって同じ歴史的事実でも記録の客観性は大きく異なります。
今後、新しい史実が明らかにされるなら、過去の記録そのものが訂正されたり、受け止め方が変わったりする可能性も考えられます。
なぜ、戦争になったのか
上記の問いに対して、しばしば「歴史を知らなければ、わからない。」と言われます。
しかしながら、多くの戦争の記録そのものが廃棄された状態でどうやって正確な戦争の経緯を知ればよいのでしょうか。
参戦あるいは開戦と敗戦の日付だけからでは、失敗の経緯を学ぶことは出来ず、再び同じ失敗を繰り返さないためにも、また日本の将来の和平と関連国との外交においても多くの戦時中の課題を残したままになっているのが現状ではないでしょうか。
自国の歴史教育は主権の問題か?
「自国の歴史を、国民にどのように教えるか」については、国家の主権の問題と長い間考えられてきました。
実際、日本の主権を失われ、占領されていた間、日本の教育はすぐに修正されました。
しかしながら、天皇を神格化した教育についてはどうでしょうか。現在もそれに近い状態の国もあります。
また、日本に限らず自国の歴史を歪曲して教えるなら、国際関係において紛争の種になる危険性を抱える事になってしまいます。
日本の場合、これまで述べてきたように戦前までの歴史的記録は、「神話とフィクション」でした。
加えて、戦中の不都合な記録は廃棄処分された結果、「過去の教育の歴史的資料」としての史実が証拠隠滅された状態では、何を言っても根拠とされにくく、時間と歴史も共に歪められるでしょう。
このような状態での日本の主張は、国際関係を複雑にしてしまうだけです。
現時点では「日本史教育の必須化」は、デメリットの方が大きくなると考えられないでしょうか。
歴史教育の主権も領土の主権も、経緯となる客観的資料や記録に基づかなければ説得力に欠けた主張にすぎません。
その結果、いつまでも解決できないでいるのではないでしょうか。
・・・・さらには、「過去の行いに対する反省のない国」とされるばかりでなく、再び大きな過ちを繰り返してしまう危険性を残すことにつながりかねません。