「神話の国」づくり (12)気がつくのが遅過ぎたとしても
「神話の国」づくり (12)気がつくのが遅過ぎたとしても
(A) 日本国民は政策・経済戦略にのってしまった
原子力利用のための政策あるいは政治的策略あるいは、経済的戦略に対して、戦後、貧しかった日本は経済発展のためのエネルギー需要と「(11)安全神話の背景」で示された原子力エネルギーを使うマンガのヒーローを夢見た子供達が成長すると、原子力はまさに「夢のエネルギー」に姿を変えていたのではないでしょうか。
見方を変えれば、原子爆弾を投下され、被爆で打ちのめされた状態から、日本は「倒されてもただでは起きない」魂で、困難な原子力発電に立ち向かったのかも知れません。
いずれにしろ、原発推進策あるいは経済戦略にのってしまったのではないでしょうか。
(B) 原子力の危険性に気づいた時
国民は原子力発電による以下のような原発事故から原発の安全性に疑問を認識するようになりました。
1)積み上がる放射性廃棄物の後始末の問題
2)軍事転用の危険性
3)度重なる原子力事故
・アメリカ軍の水素爆弾実験による第五福竜丸被曝事故1954年、
・スリーマイル島原子力発電所事故1979年、
・チェルノブイリ原子力発電所事故1986年、
・1990年代に入ると国内の原発では規模こそ小さいものの頻回にトラブルが発生し、
・事故の多くが何年も隠蔽され、また安全点検のデータの改ざんとねつ造が発覚した
・福島第一原発事故2011年
(C) 原発推進における裏取引(利権構造)
上記のような事故やトラブルとその安全対策及び隠蔽体質が明るみにされるに従い、次のような政治・電力業界・経済産業省・立地自治体・原子力学会及び施設建設を取り巻くゼネコンを含む業界団体の関係が浮かび上がってきました。
<電力会社による地域独占>
原発を管理する経済産業省の意向に従う天下りの受け皿として公益法人、独立行政法人を作る
<安全を管理する立場の省庁と電力会社の癒着>
1)安全を管理する部署(原子力安全・保安院)は、経済産業省内にあり、結果的に安全管理がずさんだった。(保安院が廃止された理由はこちら。・・・一言で言えば安全管理の役割を果たしていなかった。)
2) 政界は政治資金と選挙支援、献金やパーティー券購入は電力業界で分担していた。 ・・・・関連業界の資金力で政治を牛耳ってきた。
3) 原子力関連学会は、経済産業省及び電力会社から研究開発費をもらい、都合の良い研究報告を保安院に提出していた事が、後の保安院廃止の理由につながった。 ・・・莫大な研究費を受け、原子力政策に都合の良い事を並べ立てた。
<電力会社による、原発立地自治体への多額の寄付(電気代に加算)>
ゼネコンを利用した原発立地に対する地元対策(工事約束と地方議員対策)
(D) 気がつくのが遅すぎた?
もちろん、これらは政治家、中央官僚、電力業界が建設業界を巻き込んで秘密裏に行った策略ですが、一般国民は気がつくのが遅すぎたのでしょうか?
一般国民は「遅すぎた。」と言えるかも知れませんが、それだけではありません。
「だまされた」、「知らされなかった」あるいは「検証することもなく信じた」、「根拠もなく信じた」、「やむを得なかった」と受けとめる立地・地元民も少なくないでしょう。
他方、マスコミはどうでしょうか。
「知らなかった部分もあると思いますが、同時にわかっていた部分も少なくなかった。」のではないでしょうか。
あるいは、「国民には訴えていたけれども、一度決まった国の政策を元に戻すことは出来なかった。」のかもしれません。
いずれにせよ、今のまま、現時点の安全対策のみならず、最終処分についての取り決めが実行されないまま、核のゴミをため続けています。
そのような原子力発電施設が再度、巨大地震に襲われたなら、それこそ安心して住める安全な国土は間違いなく大きく縮小されるでしょう。
・・・・・仮に、原子炉格納容器が破損する危険性が無かったとしても、現状のデブリ除去が40年で完了する根拠はありません。すべての作業上の問題の解決策は、これからつくり上げることになっているからです。
様々な情報が必ずしも公開されているとは言えませんので、これまでは「気がつくのが遅過ぎた」としても、これまで周到してきた「安全神話」に乗り続けて行くことが、果たして将来の日本に責任を持てる判断なのかどうかを立ち止まってお考えいただきたいと思います。