戦争を知らない子供たち
戦争を知らない子供たち
フォークソングの「戦争を知らない子供たち」(作詞:北山修、作曲:杉田二郎)は、一見というかちょっと聞いただけでは、どこが反戦歌?なのか良くわかりません。
「戦争を知らない子供たち」の歌詞の一節
歌詞の一節は、次のようなものです。
戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
「戦争を知らない子どもたち」の時代背景
戦前戦時中の軍国教育や愛国教育を知る方々から見ると、国の方針である「戦争」に反対するなどという選択肢は無かったので、「平和が大切だ」と言う事は、「国の方針である戦争」に反する発言なので、恐らく「反戦歌」とされているように思います。
一方、米軍を中心とした資本主義陣営とロシア軍を中心とした共産主義陣営の戦いがベトナムの地で米ソの代理戦争としてベトナム戦争(1960~1975年)が激しく対立していた頃であった。
上の曲が発表された1970年は、国際的にも反体制を呼びかける若者の運動が世界各地で起きていました。
その頃、日本では学生運動が反体制を目指す中で、ベトナム戦争に対する反戦運動に結びついて広がりを見せていました。当時、大学生だった「団塊の世代」が多く参加した頃です。
再び、「反戦歌か?」を考えると
上記の時代背景から、反戦だけではなく、むしろ反体制という意味であったと考えられます。
なぜなら、戦後の民主主義教育では、「戦争は悪いこと」と教えられており、ベトナム戦争に荷担する日本政府は「間違っている。」との叫びだったのではないでしょうか。
しかしこの反戦・反社会運動の元は、フランスにおける「5月革命(1968年)」が旧世代に対する新世代の台頭として広く先進国に波及したと指摘されています。
つまり、「戦争を知っている世代は、反戦を叫ばないけれども、戦争を知らない世代は戦争は避けるべき事であり、平和を求めている。にもかかわらず戦争で悲惨な目にあってきたはずの大人達がベトナム戦争に反対していない。」と言う現実を批判した歌詞ではないでしょうか。
「僕等の名前を 覚えてほしい」とは何を意味するのでしょうか?
もし、戦禍を経験した大人たちが次の世代に平和を託そうと考えるなら、若者に直接声をかけ、「〇〇君、次の日本が戦争を繰り返さないように頼むよ」と直接名前を上げて託さなければ、戦禍の経験のない若者が権力と戦って戦争を阻止することは難しい事を上の歌詞は意味しているのではないでしょうか。
なぜなら、徴兵された若者に限らず、出兵の際には「残る家族に、高齢の両親の世話を残る家族の名前を上げて頼んだ」のではないでしょうか。
命をかけて出兵するからこそ、残った家族にも命がけで家族を守ることを頼めばこそ、頼まれた家族は命がけで家族を守ろうとしたのではないでしょうか。
・・・・つまり、声を上げてベトナム戦争に反対していない大人たちは、都合良く、次の世代に平和の構築を希望し、願望しているだけでは次の世代には届かないことを指摘しているのかも知れません。
私が大切だと思うこと -「戦争を知っている大人たち」に期待されること-
戦前、戦中の軍主導による軍事的愛国教育を受けた1940年(昭和15年)以前に生まれた方々は、国の方針に異を挟むことが許されない教育を受けてきたと言えます。
しかし、大切なことは「戦争を知っている大人たち」が、戦争の悲惨さを次の世代に伝え、その悲惨さを繰り返すことがないように記録することが期待されてきたのではないでしょうか。
もし、再び日本が同じ過ちを犯すなら、「戦争の歴史を教えてこなかった大人たち」にも責任の一端があるのかも知れません。
いずれ日本の若者がどのような選択をしていくかに「教え、伝えなかった過去が影響を及ぼさなかった」事の無いように今の大人達には責任があるように思えます。
今の国政や地方政治及び行政は、平和を維持しようとは考えていない
果たして今の政治や各地域の社会は、次の世代に平和をつなげようという意図を持っているのかを常に意識して言動や対応を見守って頂きたいと願うばかりです。
・・・・それは次の世代が「戦争を知らない子供たちだけになっても」、大人になって歩き始めるとき、「平和の歌を口ずさみながら、次の世代にも平和の大切さを伝えられるかどうか」に関わってきます。
・・・・少なくとも戦争を経験した大人達が、平和の大切さを伝えようとしなければ、平和をどうやって維持していくのでしょうか。
・・・・森友学園問題や南スーダンPKO活動における記録の改ざんや破棄行為は、一時の責任回避行為でしかないと考えられます。
・・・・しして全国の行政機関(役所)で、過去の大戦で何人徴兵し、何人が出兵し、何人が生存して帰還したかについて、一つの行政機関も情報を明らかにしてこなかった行為は、少なくとも「平和維持よりも、事実を隠蔽し、責任を回避する事がいまだに優先される国でしかない」ことを示していると考えられるのではないでしょうか。
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日本を戦禍に巻き込ませないために
このコラムは個人的な考えに過ぎません。ご批判はすべて受け止めたいと考えます。
その上で「日本が戦禍に巻き込まれないようにするにはどう対応するか」について述べます。
何も難しいことはありません。
国の指導者が、「戦争を始める」と言った時に、「あなたから行って下さい。」と答えるのみです。
戦争を始めるといった本人が何もせずに、国民に出兵しろと言って、それに従うような国民であってはいけません。
「言った本人から率先して出兵すべきでしょう。」と言えば済みます。
なぜなら、国を戦禍に陥れようとして、自ら出兵する大将などいません。
それが出来るくらいなら、税収が減っている時に財源がないからと言って税率を上げるような指導者を選ばなければよいだけです。
税収が減ったら、減った税収で議員も公務員も働くという、極当たり前の事をしてこなかった国の指導者あるいは地方行政の指導者であれば国民や市町村民よりも先に議員報酬や公務員給与を下げるべきです。
そんなこともしていない国のリーダーが、率先して出兵などするはずはありません。
しかし、税収が減った財源難を理由に税率を上げる事を許すような物分かりの良すぎる国民になっているようでは、言われたままに出兵するでしょう。
だいたい、膨らんだ赤字財政では戦費もないのですから、その前に赤字を改善してからでなければ、戦争に勝ったところで、さらなる借金を背負わせられるだけでしょう。
その時でさえ、議員報酬と公務員給与を下げるようなことはないでしょう。すべて国民に負わせるだけです。