いじめ問題から考えてみる1
いじめ問題から考えてみる1
この原稿を書いている2015年2月20日、神奈川県川崎市の多摩川河川敷で、中学校 1 年生の上村遼太君( 13 )が遺体で発見されました。
その後、2015年2月27日、少年3人が事件に関与した疑いが強まったとして、殺人容疑で逮捕状を請求し、リーダーとみられる定時制の高校生(18)ら3人が逮捕された。
まだ、犯人が確定された状況ではありませんが、彼のご冥福をただ祈る事しか出来ません。
加えて、ご家族の悲痛な思いを考えますと、どうしてこのような事件が起きたのか、真相の解明が待たれると共に、犯人に対して激しい怒りを覚えます。
これからご紹介させて頂くコラムの内容は、今回の事件を想定したものではございません。
しかし、どうして上村君の状況に救いの手を延べる事が出来なかったのか、もしその方法があったとすればどの様な方法だったのかを思いつつ、このコラムを始めたいと思います。
繰り返される「いじめ」
2015年2月19日、佐賀県鳥栖市立中学校の男子生徒(15)が1年生当時の2012年4~10月、同級生の男子から暴行され、多額の現金を奪われたいじめを巡り、被害生徒と家族が19日、市、加害生徒8人と保護者を相手取り、損害賠償と慰謝料計約1億2770万円を求めて佐賀地裁に提訴した。
相も変わらず、学校側の対応の鈍さには、「責任の無さ」を感じるばかりです。
「いじめ」に関わる立場は4つある
いじめ問題では、少なくとも、いじめられる子、いじめる子、そして周囲で見ている子の3者が存在しています。
この時、いじめられる子は被害者、いじめる子は加害者であり、そして周囲で見ている子は傍観者と考えられます。
しかし、傍観者であっても決して「自分には関係ない事」とは感じていないはずです。
ところがこの状況に加え、学校側に相談しても何ら対応が見られなければ、学校という組織そのものが「いじめを容認している環境」を維持してしまっていると言う事になります。
つまり「いじめ」にかかわる立場には、上記3者の他に学校が加わり、4つの立場があります。