高齢者に対する見方 (7)地域における損失
地域社会における損失
高齢者が黙っていることは、高齢者の成熟した人格面が発揮できないばかりか、高齢者自身も将来における自身の生活不安から精神的にも萎縮し、地域社会における役割に対しても消極的になってしまっています。
そのような高齢者の消極的な生活を見る側は、高齢者とはこう言うものだと思いがちではないでしょうか。
少なくとも前期高齢者(65~74歳未満)は、地域社会で肉体的な役割を果たす事が出来なくても、成熟した精神的な役割を果たす事は、十二分に可能な年齢ではないでしょうか。
従って、そのような成熟した人格的役割を発揮できる機会が少ない事は、地域における社会的な損失であると考える事も出来ます。
特に、自治会活動などの地域活動で感情的なもつれが生じている場合には、高齢者の寛容性とバランスの取れた中庸な判断力とが求められているのではないでしょうか。
必要なこと
意識して認識しなければならないことが一つだけあるように思います。
それは、1945年の終戦を境に、天皇支配、君主主権の国家体制から、国民主権の体制に変わったことです。
一言で言えば、戦前までの教育は、上に従うことを尊いとしました。
もちろん、現在でもその一面が尊ばれることは少なくありませんが、より大切なことは自らの意見を主張する事です。
戦前は、「黙して語らず」とか「寡黙(かもく)」が尊ばれましたが、それは「生活に追われるような日々において、毎日グチをいっているよりは、堪え忍んで頑張って生きていくことを良しとする。」価値観です。
従って、発言しなければならない場面や状況的に困る人がいるような場合に、「口を閉ざしていてはいけない。」のであって、あらゆる場面で「黙して語らず」では片寄った強い意見に流されるだけになってしまいます。
発言した人の意見が通るとか、通らないかと言う事は、全体で判断すべき事であり、強い主張を述べたヒトが、少数意見を押さえ込むようであれば、「組織運営に問題がある事を露呈しています。」ので、その話し合いや集会が建設的な方向性を向いているかどうかは、すぐに判断できます。
1935年生まれの方は、2015年現在、80歳です。
この方々は、1945年の終戦当時、10歳ですので、子供心に親から古い価値観で家庭教育を受けていますので、自ら発言あるいは発信する事をためらいがちではないでしょうか。
謙虚で自己中心的ではない視点を示して欲しい
その年代の方々は、思っていても「口にはしない。」育ち方を強いられてきた事と思われますので、中々、明確なお考えを述べて頂けません。
しかしながら、戦前と戦後の歴史を見てきたと言う点で、戦後生まれの良さと悪さとを感じておられ、知っている方々です。
そういう点でも、多様な意見を発信できる経験を持っていますので自らも意識して発信して頂きたいと思います。
加えて周囲の若い世代は、傾聴して頂きたいと思います。
その理由は、戦後は何かと自由であると言われていますが、その一方で「身勝手すぎる」、あるいは「自己中心的すぎる」傾向が、社会や周囲に迷惑を及ぼしている例が少なくないからです。
どうか、周囲のことを考え、自己中心的ではないご意見を聞かせて頂きたいと思います。
その事が、様々な問題やトラブルを改善させる方向性を示し、自由の中にも規律のある地域社会が保てるのではないでしょうか。