安全保障についてのコラム2015
安全保障についてのコラム2015
(A) 戦後の節目をどう迎えるのか?
戦後70年を迎えた2015年夏、戦後70年を将来への不戦の誓を新たにする節目の年として「戦後70年談話」が国内外から注目されています。
このような状況の中で、このところの安全保障法案の内容は、戦争への参加を招く危険性を拭い切れないことから、いきなり「徴兵制の再現」に関する質疑までもが国会で答弁されています。
このサイトでそれらの問題に意見や考えを述べるつもりはありません。
その理由は、国民の多くが現在の政権与党を支持し、強行採決まで可能な状況を支えていると考えられるからです。
多くのマスコミも世論調査でも、安全保障法案に対する理解は進んでいないように思われますが、それ以上に国民不在でアメリカの大統領との約束を守ることにのみ奔走しているようにも感じられます。
その結果、全体として感じる印象は、他国からの侵略や武力衝突に対する危機感よりも、現政権に対する不信感の方がはるかに優っているように感じられることです。
いずれにしても国として、戦後70年の節目をどう迎えるのでしょうか。
(B) 憲法9条だけでは国の安全を担保できない
その一方で、武器を持たないだけでは国際紛争から免れるという保証はありませんので、憲法9条だけでは国の安全を維持することは困難ではないでしょうか。
実際の所、憲法9条は、アメリカとの安全保障条約を前提としていると考えることが自然のように思われます。
この日米関係なしに、憲法9条を維持できないことも事実ではないでしょうか。
他方、憲法9条は日本という国の指導者の危険性から国民を守る役割を果たしていることも事実ではないでしょうか。
つまり日本国民は国の指導者の暴走と外国から攻撃の2つの危険性にさらされていることになります。
こう考えますと、現状の憲法9条は、外国からの攻撃よりも国の指導者の暴走をくい止めるための役割の方が大きいように思えます。
結局の所、現在の国民の安全と平和は、日米安全保障と憲法9条の2つによって保たれていると考えられないでしょうか。
(C) 日本と日本人、及び平和を守るには
他方、最も喫緊の課題は次の2つではないでしょうか。
1) 「拉致被害者救出」の問題
2) 使用済み核燃料の廃棄と保管の問題。
他にも財政破綻危機、沖縄の米軍基地問題や二酸化炭素の排出削減を含む環境問題もございますが、今回は上記2点に絞ります。
現状の安全保障法案は、拉致被害者の問題よりも、なぜか中東のホルムズ海峡の機雷除去をきっかけとした起草から法案が作られようとしています。
これではまるで自宅敷地内の火事で逃げ出せなくて困っている家族よりも、遠方に仕掛けられた落とし穴の埋め立てを優先している印象しか受けません。
また、使用済み核燃料の廃棄やその保管の問題を残しながら、防衛力によって東アジアの平和と安全のために必要だと言ってみても、「東アジアよりも自国の問題を先送りしている」だけでのように見えてしまいます。
これら2つの問題は、サッカーに例えるなら、守備の問題です。
現在の安全保障法案は、攻撃の事を優先しているように見えます。
と言う事は、深くサイド攻撃を受けたり(テロ組織が国内に入ってきたり)、ロングシュート(長距離ミサイル)で狙われれば、役に立たない戦略のように思えます。
憲法学者や他の学者達は、安全保障法案の原案に反対するだけでなく、自国を守る案を同時に示し、「国の安全について」前向きな議論となる方向を目指して頂きたいと思います。
主権は政治家に有るのではなく、主権が国民にある以上、国民が考える問題のはずです。
さて、上の議論はさておいて、夏休みのひと時、下記の You Tube をご覧頂きたいと思います。
オバマ大統領は被爆地広島を訪問したが(20160713)