負け犬は遠吠えしない1
負け犬は遠吠えしない1 −負け犬の遠吠えに対する疑問−
2015年9月20日、ラグビー日本代表が、ラグビーのワールドカップ(W杯)イングランド大会で世界ランキング3位の南アフリカ代表に34対32で奇跡的な勝利をおさめたと報道されました。
私はラグビーのルールも知らないし、何らラグビーに関心はありませんが、弱い者が強いものに挑(いど)んだと言う点で、関心をもってこのスポーツニュースを楽しみました。
そこで今回は、毒舌コラムで上のことわざに対して「負け犬は遠吠えしない」と言う屁理屈を述べます。
実際、これまでの日本代表チームは、ラグビーに関わらずサッカーやバーレーボールの試合に負けても遠吠えはしていないように思われます。
つまり、負けを経験しながら勝つ方法を考えてきたに違いありません。
必要なことは、勝つための戦略をトコトン練り上げ、その戦略のために鍛え上げる事です。
そのために必要なことは、「負けた悔しさと勝ちたいと言う強い思い」を持ち続ける事だと思います。
その「勝ちたいという強い思い」とは、一時的な感情ではなく、心のそこから持続する気持ちであり、また継続する悔しさの大きさではないでしょうか。
(A) 「負け犬の遠吠え」とは
さて、「負け犬の遠吠え」とは、臆病者が本人の前では何も言えないくせに、陰では威張ったり悪口を言ったりすることのたとえです。あるいは、ケンカに負けて逃げる犬の事でもあります。
しかしながら、もしその「負け犬」に「三つ子の魂」があれば、どうなるでしょうか?
「三つ子の魂百までも」と言う時の意味は、幼い頃の性格は年をとっても変わらないことを指しています。
とすれば、「幼い頃に負けること」、「悔しい思い」を経験すれば、その悔しい思いは年をとっても変わらないことになります。
このように考えるなら、「三つ子の魂を持った負け犬は、遠吠えしない」と言えるのではないでしょうか。
三つ子の魂を持って人生を生きれば、幼い頃に勝ち犬になった相手に勝つことは可能だと考えらるのかも知れません。
・・・こう考えるなら、スポーツが下手であっても試合を経験し、負けることでチームメートに批判されるかも知れません。
しかしそれらを経験してこそ、次は負けられないという思いを強く育てる上では、「負けを経験しないこと」は何の財産にもなりません。
(B) 与党には吠える気力もない
さて2015年09月08日 、自民党総裁の任期満了に伴う総裁選が14年ぶりに無投票で再選が決まりました。
野田聖子・前総務会長は出馬に意欲を示していましたが、立候補に必要な20人の推薦人が集められず、立候補を断念したと報じられています。
これを自民党が一枚岩となったと言えば聞こえは良いが、「多数を占める与党内に現政権に対して異論がない。」とするなら、これはもはや「遠吠えもしない与党員」に過ぎないのであり、国会の外の多くの国民の声に対しても「聞く耳を持たない」与党議員が多いことを意味していると考えられます。
次回は、この吠える気もない与党議員について毒を吐きます。
<補足> ・・・2020年9月
2020年の9月、安倍総理の突然の引退宣言により、自民党内の派閥勢力分布により、立候補前にして結果は明らかになってると言える状態です。
国民目線では、「党内で勝馬に乗ろうとする競争」のようにも見えます。
それでも、立候補に立ち、自らの主張を誰かが発しないことには、まさにだれも巨大派閥には対峙しないことになります。
そういう意味では、負けの経験を積み重ねることでのみ、成長していく方向をより真剣に見つけ出そうとしている可能性が考えられないでしょうか。
少なくとも負けを経験せずに、勝ち続けることは極めて難しいと考えるなら、人生も失敗を経験することなく、何事も上手くいっているとすると、失敗のリスクを考えない生き方をしていくことにならないだろうか。
こう考えるなら、アマチュアスポーツはどのような技術レベルであっても、負けを経験させることも教育の一環と考えられないでしょうか。