原爆による死者数 (1)広島
原爆による死者数について (1)広島
このシリーズでは、「過去の原子力爆弾の被害状況」について、死者数に関する情報を整理すると共に、現在の原爆の威力について調べ直し、被爆国としての原爆に関する姿勢を皆さんと一緒に考え直す機会としたいと思います。
1945年(昭和20年)8月6日、午前8時15分。
・・・・上記は、人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下された日時です。
下の写真は、8時15分で止まった時計(爆心地より1.6キロで被爆した時計。広島市 平和記念資料館所蔵)です。
広島での原爆投下の状況
上記の日時に、上空約9,600メートルからアメリカのB29エノラ・ゲイにより、世界で初めての原子爆弾が広島に投下されました。
その原子爆弾はウラニウム型原爆で、
投下から43秒後、地上約600メートルの上空で閃光を放って炸裂し、
その1秒後には最大直径280メートルの大きさの火球(きのこ雲)となり、
爆心地周辺の地表面の温度は、3,000~4,000度にも達しました。
広島での原爆による被害状況
原爆によって死亡した人の数については、正確にはつかめていません。
しかし、放射線による急性障害が一応おさまった、昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています。 ・・・・・広島市のサイトより。
(長崎の原爆投下では、7.4万人とされています)
他方、ウキペディアによれば、8月から12月までの被爆死亡者は、9万人ないし12万人と推定されています。
1) 急性障害
原爆投下直後からその年の終わりくらいまでに現れた放射能による身体的障害を急性障害と言います。
被爆直後から2週目の終わりごろまでに嘔吐、下痢、発熱、倦怠感などが現れ、続いて脱毛、歯茎からの出血、紫斑などが現れました。
被爆直後は外傷もなく、元気そうに見えた者も次々と亡くなっていった。
2) 後遺障害
原爆の被害が他の兵器による被害と異なる点は、いつどのような障害を発症するのか誰にも分からないという点であろう。
現在分かっている主な後障害には、原爆白内障、白血病、悪性腫瘍がある。
遺伝的影響は、今後も世代を超えて調査が必要とされています。
投下された原子爆弾などによって死亡した人物の氏名を記載した名簿には、上記リンク先の通り、次の人数の名前が記されています。
広島市29万2325人
長崎市16万8767人 ・・・・合計で46万人を超える方々が原爆により犠牲となられました。
つまり、原爆投下と同時に亡くなられた人数は不明ですが、
少なくともその後も原爆投下によって被爆し、長年病気や働けない事による経済的な問題、あるいは差別されるなどの苦しみによって社会的に追いつめられて亡くなった事が解っている人数は、上記の通りです。
しかしながら、当然、現場にいたことが確認されていない方の人数は含まれていません。
一度、上記の平和宣言を読み、被爆地の思いと被爆の実態を知るところから核兵器廃絶に向けて一人一人が考える機会として頂きたいと思います。