出生前診断 (4)ピル(避妊薬)の認可まで
出生前診断 (4)ピル(避妊薬)の認可まで
なぜピル(避妊薬)が許可されなかったのか
他方、ピルの使用は、当時の厚生省と医師会の反対により平成11年(1999年)まで許可されませんでした。なぜなら優生保護法で合法化された中絶により、産科医たちは莫大な利益を手に入れ、政治・行政もその利権を守る事で選挙における支持票を得るためでした。ピルの承認まで何と優生保護法から遅れること51年もかかっていますが、これがかつての長期政権を支えたのかも知れません。なんとアメリカに遅れること40年もかかっています。
従って、国(政治及び行政と医師会)は中絶に関する女性の主体的な人権や選択権を与えなかっただけでなく、主体的な避妊の方法の一つであるピルの使用さえも奪ってきました。 この様な組織的な女性の人権を奪ってきた国に、「倫理的に命の選別につながる」などと言うきれい事を押しつける考えに対して、耳を貸す必要などないと考えます。
ピルの前にバイアグラが許可されていた
厚生労働省は1999年6月にようやく低容量避妊ピルを承認しました。
ところがその前の1999年1月に厚生省は勃起不全治療薬「バイアグラ」について、わずか半年間の審議と海外の臨床試験データのみを根拠に速やかに承認しました。
このように、厚生省のバイアグラと避妊ピルの承認期間があまりにも違うと事からマスコミや女性団体から激しい抗議を受け、厚生省は1999年6月にようやく低容量避妊ピルを承認しました。
なぜバイアグラの承認が半年という異例の早さで決まったのか?
正確なところは不明ですが、
理由の一つはバイアグラがホルモン剤ではなく、酵素の阻害剤であり、作用機序がホルモン製剤のピルに比べて簡単であること。
他の一つは、推測として日本の男性が早く使ってみたかったからではないかと言われていましたが、本当のところは不明です。
但し、もしバイアグラが承認されなかったなら、ピルの承認はさらに遅れていたのかも知れません。
ピルを問題視する理由
ピルでなくても、コンドームでも避妊は出来ます。しかし、女性が主体的に妊娠を避けようとするときに使える方法のひとつがピルです。そして先進国の中で唯一、ピルの使用を認めてこなかった国は日本のみであったことから、「世界唯一のピル鎖国」とさえ言われました。
しかしピルが承認されるまでの間、薬剤としての安全性及び有効性に関してより慎重な責任ある薬事行政であったのか、あるいはなぜそれほど長期間の審議が必要だったのかについては、疑問の多いところです。この点について、「重要な問題に関わっての審議については、その形跡すらどこにも見あたらない。」と豊田正弘氏も明記しています。 すなわち、性と生殖の一方で中絶に関わる問題の中心である女性の介入を厚生労働省は嫌っていた可能性が考えられます。何とつい最近の1996年6月までピルを認めて来なかったのです。納得のできる説明がなされていない現状で、「性及び生殖と中絶」に関わる問題では、国や行政及び医師会が、女性の自由と権利とを守ってきたとは考えられません。
同じことが、今回の新しい出生前診断についても言えるのではないでしょうか。つまり国も行政も医師会も何ら女性の人権についての姿勢は変わっていないように見えます。
このことから、これまでの優生保護法でも、ピル(避妊薬)の承認でも、国も行政も医師会も女性の主体的な人権や選択権を認めて来なかったのですから、こられの立場の意見に耳を貸す必要などないと考えます。
次回は、診断結果が出たとき、どう考えるかについてご一緒に考えてみたいと思います。