視点を変えれば評価は異なる (12)地位は人を作るか?
視点を変えれば評価は異なる (12)地位は人を作るか?
地位は人を作る?
「地位は人を作る」と言われますが、果たしてそうでしょうか?
「地位が人を作る」とは、それなりの地位につくと、その地位にふさわしい人間に成長していくと言う意味です。
組織内の一部門のグループにおける主任クラスは、実績と実力がある人が選ばれます。
しかし、グループの責任者となると、グループとしての役割を担い、グループをまとめながら目標に対して結果を出すことが求められますので、グループリーダーとしての調整力や意見の違いを乗り越えながら、自らが責任を担うことで、力量が増し、リーダーとして人格も磨かれていくことが期待されます。
従って、一般に「一定の学力があるから、入学を認める」場合、過去の学業実績の上に、次のステージでも対応できるだろうと言う判断がなされます。
他方、一般職や営業職、企画職、研究技術職などから管理職に上がれるかどうかは、「管理職の経験がないため、管理職としてやっていけるかどうか」の元になる過去の実績がありません。
つまり、管理職における人事評価では、それまでとは異なる評価基準があります。
その評価基準は、直属の上司の意向ではなく、組織全体としての目標に目を向け、所属グループ全体の意欲を高める意識もあることで、同僚や仲間を励まし、他の人に信頼される人です。
他方、総合職は将来の管理職幹部候補の位置づけとされることもありますが、多くは他の職種を経験させながら職種転換や転勤で様々な視点から評価されることで、選ばれることが組織にとって様々な視点で見極めようとします。
・・・・これはとりもなおさず、会社組織のリーターの選択は、多くの職員の生活が関わることから、リーダーの評価が難しい事を多くの会社が理解しているからではないでしょうか。
つまり、リーダーは何が出来るかではなく、職員皆のために考え、判断できる人物かどうかを見極めなければならないからです。
従って、リーダーは社内の問題を解決するだけでなく、経営を維持しながら、会社を発展させるための決断が求められるからです。
それには当然、社内の問題(学校の場合、いじめ問題)だけでなく、競合している他社(他校)との関係を配慮しながら、時には協力しながら共存の道を探るレベルの役割が期待されています。
もはや学校や教育委員会といった内輪の隠ぺい問題に第三者委員会を必要とする組織とは次元が異なると考えられます。
これら近年のこと以外に、歴史から「地位がヒトを作るか?」については、世襲が多くのヒトの台頭を阻んできた歴史の方が遥かに多いと言えるのではないでしょうか。
そしてむしろ近年では、どのような環境であっても、その環境を打破し、人生を切り開くことがゆるされる時代です。
にもかかわらず、周囲の目や上司の命令に対しては、組織ぐるみで違法なことにも従ってしまう傾向が強く感じられます。
参考情報 出世する人は人事評価を気にしない (日経プレミアシリーズ) 平康 慶浩
リーダーとしての器を感じさせられた最近のニュースの例を2つ
1) ここ数年の閣僚の辞任は以下のとおりです。
2014/10/20 小渕経産相辞任、松島法相辞任を追加 ・・・政治資金規正法違反。松島氏は、うちわ配布による公職選挙法違反で辞任。
2015/02/24 西川農水相辞任を追加 ・・・・・政治資金規正法違反。
2016/01/29 甘利経済再生担当相辞任を追加 ・・・都市再生機構に対する口利きを依頼し、見返りに総額1200万円を現金や接待を受けた収賄。
2017/04/26 今村復興相辞任を追加 ・・・東日本大震災後、東北の方での被災で良かったとの発現が原因。
2017/07/28 稲田防衛相辞任を追加 ・・・南スーダンPKO日報隠蔽問題の責任
2018/03/05 江崎沖縄北方相辞任を追加 ・・・一過性脳虚血発作
加えて、辞任にまでは至らなくとも麻生氏と安倍総理の失言は度々、報じられています。
・・・・これらの状態を見て、果たして「地位が人を作っている」と言えるのでしょうか?
すなわち、「人を作る」とは、人格に磨きがかかるという意味ではなく、傲慢になるという意味なのでしょうか。
2) 広島カープの新井貴浩選手」の引退における言葉
最近、リーダーとしての器を感じさせられたのは、「広島カープの新井貴浩選手」の引退に関する 2018年9月18日の本経済新聞の 「勇退」決断 広島・新井のチームへの思い と言うインタビューにおける次の言葉です。
「チームの2年後、3年後、5年後を考えると、今年でいいんじゃないのか……」
「(自分が去ることで)若い選手はチャンスと思ってほしい。そこで競争が生まれ、カープの強さにつながる」
上の二つの言葉は、いずれも引退後における自分自身の問題を頭に描いているのではなく、広島カープと言う組織及びその中の若い選手達の将来を考えた言葉のように思います。
この言葉の思いは、自分の事よりもチームメートのことを考えており、現役選手としてチーム内で頼られる存在感は少なくなかったと思わされます。
広島カープというチーム自体が、関東でも関西でもない地方チームで、あまりメディアが注目するチームではありませんが、彼のように「周りを引き立てる器」を持つ人こそが貴重な存在です。
なぜなら、ほとんどすべての選手が自らの成績を気にしている競争環境に身を置いている中で、彼は先発メンバーから外されてもチームに溶け込んでいるだけでなく、チームメートを支えているように見えたからです。
そして、彼のような存在感のある選手は、他チ-ムのキャプテンや選手会長には見当たらないように思います。
加えて、彼はチームではキャプテンでも選手会長でもありません。
すなわち、彼はチーム内でリーダーとしての地位や立場はありませんので、「地位が人を作ってはいません」。
と言うことで、上記二つの例及び最近のスポーツ関連団体のパワハラの告発から、「地位はヒトを傲慢にし、地位がなくても人は作られる」と言う事になります。