上村遼太君 その後2020年6月
上村遼太君 その後2020年6月
いじめ問題から考えてみる1で最初に以下のように取り上げたのが「村上遼太くん(当時13歳)」です。
2015年2月20日、神奈川県川崎市の多摩川河川敷で、中学校 1 年生の上村遼太君( 13 )が遺体で発見されました。
その後、2015年2月27日、少年3人が事件に関与した疑いが強まったとして、殺人容疑で逮捕状を請求し、リーダーとみられる定時制の高校生(18)ら3人が逮捕された。
彼を取り巻く人々と社会のその後の遼太くんに対する思いを寄せてみた。
村上遼太くんに対する社会の思い
(1) 日本経済新聞 2016年11月8日で、傷害致死罪に問われた少年(19)の控訴審判決が8日、東京高裁であった。
青柳勤裁判長は、懲役6年以上10年以下の不定期刑とした一審・横浜地裁判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。
事件では3人が起訴され、主導的な立場で殺人罪などに問われた元少年ら2人は、すでに一審で不定期刑が確定している。
弁護側は控訴審で「元少年らと共謀しておらず、暴行もしていない」と無罪を主張したが、青柳裁判長は少年の関与を認めた元少年らの供述が信用できるとして退けた。
(2) この事件の取材を続けた石井光太氏は、2017年12月、「43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層」を出版した。
その著書の紹介文の一部は、上のリンク先で次のようにあった。
・・・・父親が「Iターン」で漁師を始めた島根県の小さな島で育った遼太君は明るい子だったが両親は離婚。母は実家のある川崎市へ移り生活保護などで5人を育てるも、やがて恋人を連れ込む。
同じ犯人による少し前の暴力事件で目も開かないほど遼太君の顔が膨れ上がった際、母は息子の写真を撮るだけだった。深夜に出ていく遼太君を気にしなかったという。 ・・・・
(3) 神奈川新聞 2019年04月25日の一部を抜粋すると次のように印されていた。
・・・・今月で18歳になるはずだった。過ぎゆく歳月に、遼太さんとともに置き去りにされそうになる。
長女、次女、三男はそれぞれ、小中高校に進学した。
「みんな遼太を追い越していく。こんどは次女の番」
かねて同居していた男性と1年半前に再婚し、「上村」を改姓した。
家族全員が夫方に本籍を移せば、遼太さんは戸籍上からも消えてしまう。案じた長男は転籍せず、旧姓にとどまってくれた。火葬後も遺骨は依然、自宅にある。「わたしが死んだら一緒に埋めて」。長男に頼んだ。
(4) 日本経済新聞 2019年7月29日 では、上村遼太さん(当時13)の遺族が、殺人罪などで服役している元少年3人と、それぞれの親に慰謝料などを求めた訴訟の判決が29日までに横浜地裁であり、一部の親を除く6人に計約5500万円の支払いを命じた。判決は26日。
判決理由で高宮健二裁判長は、殺人事件に対する元少年3人の責任を認めたほか、親については不良交遊の深刻化を認識していたのに「具体的な対策を講じなかった」と認定。監督義務違反と事件に因果関係があるとした。
事件では、当時未成年だった3人のうち、主導的な立場の1人が殺人と傷害の罪に、残る2人が傷害致死罪にそれぞれ問われて不定期刑が確定し、服役している。
(5) 日本経済新聞2020年2月20日 では、川崎市の多摩川河川敷で中学1年だった上村遼太さん(当時13)が殺害された事件から20日で5年。
現場に知人らが花や菓子を供え、事件後に各地から寄せられたメッセージを読み返し、上村さんをしのんだ。
親しかった友人は「心に区切りを付け、遼太の分まで生きたい」と話した。
関連情報 いじめ問題 まとめ
私見
いじめ問題 まとめでは、触れていない上記のような「いじめ事件のその後」が被害者および被害者家族と加害者にまで及んでいる事を思わされます。
そして被害者が、必ずしも恵まれた家庭環境には置かれていなかったことを知らされるほど、「命がけで付き合いたくない者達に従っていた事」と思われます。
それにしても、村上遼太君のような子供を誰一人、身を挺して助けようと出来なかったとしたら、やはり加害少年達だけでなく、家族や友人、社会ものが残酷で情けない社会であることの一端を見せられたことは事実であり、否定できないだろう。
だとすれば、「ヒトは何のために生きているのか?」を問われた時、自分の利益のためだけであるなら、この社会は一人ひとりが孤立した戦場を生きること、生き延びることに奔走しなければならない社会でしかない。
たとえ戦争であっても自軍同士であれば少なくとも、助け合うことでしょう。
情けない学校を取り巻いている環境と情けない社会でしかないのなら、社会の評価など気せずに、自らと周囲とを守れる生き方を見出す必要があると考えます。
そして何よりも「遼太の分まで、どう生きるのか?」が問われているのではないかと思います。
・・・何を後悔し、何が足らなかったのかを考え、その後の生き方をどう変えようとするのか、このような事件を繰り返さないために自らがどう生きていくのかを常に自らに問いかけながら生きて行くことが、「遼太君に対する思いをかかえながら生きること」につながるのではないでしょうか。
生涯、遼太君に対する思いを引きずって生き続けることを自らの課題としなければ、社会を何も変えられないだろう。友人や家族だけでなく、助けを求めるヒトを如何に支えようと生きるのだろうか。