逆説の生き方1
逆説の生き方1
外山滋比古(とやましげひこ)氏の著作で、前回は「忘れる力 思考への知の条件」(さくら舎)から私なりに「忘れる力」を紹介させて頂きました。
今回は、「逆説の生き方」を紹介させて頂きます。
逆説とは
「逆説」には、真理に背いているように見えながら実は真理を言い表していることを意味しています。
すなわち、通常とは反対の方向から考えを進めても、それなりに論理的真理があると言うことのようです。
恐らく、誰もが失敗のない人生を過ごしたいと考えるでしょう。
しかしながら、失敗を経験しないヒトは、ほとんどいません。
もし失敗したことがないと言った場合、多くはそれほどのチャレンジをしなかったと考えられます。
すなわち、多くの人は大なり小なり、それなりに失敗を繰り返しながら生きています。
だからこそ、失敗でもがき苦しんでいる人を見れば、「気の毒に」と思ったり、「思いやりやいたわる気持ち」も養われることでしょう。
その結果、他人の失敗を赦す気持ちも芽生えるのかも知れません。
真説 ・・・・逆説の反対で、正論を意味しますが、・・・・
他方、失敗の経験のないヒトは、他者の失敗を見て、「なんてバカなやつだ」と思って「嘲り(あざけり)」、中には「生きる価値ない」などと見下したり、失敗したヒトの人格までも損ねる発言する心ないヒトになってしまう可能性もあります。
この「心ないヒト」、「思いやりのないヒト」の多くは、才能豊かで、何事も思い通りに人生をトントン拍子で生きてこられたからに他なりません。
・・・・このように優れたヒトの才能や運の良さは、見方によっては周囲のヒトから距離を置かれ、必ずしも幸せではない意味を含んでいることかもしれません。
さて、真説とは本当を意味する単語のようですが、何が真(まこと)かは、立場や視点の違いで異なってきます。
・・・・例えば、被害者と加害者、戦勝国と敗戦国などの立場の違いで、それぞれの言い分は大きく異なります。
その結果、真説でも、逆説でも、あるいは横説(おうせつ)であっても、視点によっていろいろな主張があります。
幸福と不幸は表裏一体 ・・・「逆説の生き方」から
外山氏の上記著作の中で取り上げられている「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」とは、幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえと説明されています。
・・・・言い換え得るなら、次のような解釈も出来るのではないでしょうか。
成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものであり、また、
悲しみと喜びとは交互に相次いで訪れたり、
楽あれば苦あり、
少し異なりますが、 ・・・夜が過ぎれば朝が来て、冬が過ぎれば春が来る
・・・・などと解釈でき、これらを多くの人は経験しながら人生を過ごしています。
にもかかわらず、多くの人は、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)を期待しているのではないでしょうか。
・・・・順風満帆とは、物事がすべて順調に進行していることのたとえで、人生において、風の向きが変わらないなどという事自体あり得ないのです。
今まで下働きで辛いと思っていたヒトが、ある日を境に管理職になった途端、喜びもつかの間で、管理職としての責任の重さに疲弊すると言ったことは、何処にでもあります。
さて、何が言いたいかと言えば、風向きはいつか、必ず変わるのですから、逆説と真説が入れ替わる可能性も否定できないということではないでしょうか。