知識が頭の働きを悪くする
知識が頭の働きを悪くする
「忘れる力 思考への知の条件」(さくら舎)を執筆された外山滋比古氏の著書「逆説の生き方」の中に「知識が頭の働きを悪くする」と言う節があったので、私なりの見方で少し紹介させて頂こう。
知識は雑食に獲得する
教育を受けることで知識は増えるが、それだけでは心が豊かにはなりません。
しかし、知識が増えることで「頭が良い」とされるのは、「記憶の多さを試験で評価するから」に過ぎないからです。
このことから、本をたくさん読むことで知識が増えますが、異なるジャンルの本を読むことで様々な考え方や学び方を学び、その視点を身につけることで「見方や考え方が豊かになる」とされています。
その一方で、限られた分野の勉強しかしなかったり、専門領域だけの理論や技術は、その分野では有能と評価され、新しい理論や技術も見いだせると期待されます。
しかしながら、専門領域だけでは偏った知識に陥るだけでなく、他のヒトの考え方を尊重したり、人間関係においても偏よりがちとなる可能性が高く、社会性という面でバランスが良いとは言えません。
私達は、なぜ様々な分野のことを学びながら、実社会ではその数十分の一程度しか、仕事に利用されていないのでしょうか。
その理由は、次のことが上げられます。
1) 様々な分野を学び、経験する過程を通して、自分がどの分野に自分が向いているかを知るチャンスを見いだせる可能性が考えられます。
2) 同時に、他の分野の価値観や考え方を尊重して、社会生活を営むことで、ヒトは優劣ではなく分野別に互いに補い合い、支え合って社会の営みが築かれている事を知る。
ところが、学校教育では、問題の解き方を学び、公式に従った解き方を指導されるだけでなく、異なる解法(とき方)で問題を解くことすら認められない危険性があります。
・・・公式がなかった時代でも、それなりに様々な解法を見いだしていましたので、「思考力」が鍛えられていたと考えられます。
参考情報:「円周率π」Newton の34-35ページにある「円柱の体積=円錐の体積+半球の体積」は、アルキメデスは球の体積をどうやって見つけたのかでも解説されています。
学校教育だけでなく、医療の分野でさえも多くの医療従事者が研修を通して学んだ「ACLS(アメリカ心臓協会)が提供している蘇生教育コースで、Advanced Cardiac(心臓) Life Supportの略)」の教育コースでさえも、日本では最も推奨される蘇生法のみが「正解」とされ、それ以外の方法は、あたかも間違いであるかのような指導がなされていました(現在はどうか? 解りません)。
・・・・ところが、この研修コースは、5年毎に実証データ(エビデンス)に基づいて改定されています。
・・・・すなわち、最も推奨されている蘇生法以外の方法で実際に蘇生を試みたデータの積み重ねから、推奨される蘇生法は改定されているのです。
・・・・従って、諸外国では、医療設備や医療従事者の判断で、必ずしも「最も推奨された方法ではない蘇生法でより効果的に蘇生できた」事を裏付けています。
・・・・他方、日本では、一度、推奨される蘇生法が出来上がると、それ以外の蘇生法を認めない傾向があるのではないでしょうか。
これらが繰り返されると、「解き方の定まっていない問題に対して考える力」、すなわち思考力は知識の量に反比例して低下すると外山氏は述べています。
・・・・言い換えますと、ACLSの現場では、これまでの教育コースでは学んでこなかったような心肺停止の症例に対して、考えて対応する事が出来ない可能性があります。
この思考力とは、考える力であり、そのために必要な事は「多面的視点と論理的思考」を積み重ねることとされています。
この思考力(考えること)は、学校では教えられません。
ですので自ら学び取らなくてはならない。すなわち、試行錯誤を繰り返し、独学で身につける以外の方法はありません。
そのために参考になるだろうと思われる書籍として、以下の2つを上げておきます。
世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく 渡辺 健介 、著
完訳 7つの習慣 人格主義の回復 スティーブン・R・コヴィー 、
いずれにしても、考える力を学び、自ら獲得しようとするとき、知識が多いことが考える力を削いでいる可能性を外山氏は指摘しているのかも知れません。
なぜなら、力をつけるには、自ら鍛えるしかないからです。
知識は他力で身につけたり、記憶力で保持できますが、記憶してきたことの論理的理解力が伴っていないと、記憶は次第に失われるので、知識を増やしても使っていない分野のことは数年もすればほとんど聞いたことがある程度にまで失われます。
他方、「思考力」は、自ら筋力トレーニングを積み重ねるようなものです。自ら自力(独学)で鍛え続けなければ決して筋力はつきません。
すなわち、筋力を鍛え上げるのと同様に、思考力を身につけるための、方法や効果的なやり方は知識としてはあっても、自ら汗を流し、試行錯誤する意外には無さそうです。
・・・これらのことから、知識は学ぶことが出来ますが、筋力・持久力・思考力、あるいは技術力は、時間をかけて自ら取り組む以外、習得することは難しいと思われます。
思考力をつける毎日の習慣
上のサブタイトル「思考力をつける毎日の習慣」は、「逆説の生き方」の中にある一節です。
この節に、日々どうすれば人のマネでない考えを持つ事が出来るかが書かれています。
さらの上記著書の「あとがき」が素晴らしい。・・・と個人的に思っています。
・・・ヒトは生まれた瞬間から何も覚えてはいないが、この世界に飛び出してはくるが、不快なこと、苦しいことの連続で泣いてばかりいる。
しかし、やがてそういう環境と折り合いをつけて笑うことが出来るようになる。
その頃、まだ何も知識らしいことは身についていないが、だからこそ、あらゆるものや事柄、周囲の人が言っていることを夢中で解ろうとする。
すなわち、知識が無いことで、周囲や不思議なことに関心を抱き続けながら成長していく。 ・・・これがヒトの成長過程であり、「不思議なこと?」と考えなければ知識として積み重ねても、単に点数を積み上げる目的の学びにしかなっていないからだろうと思われます。
・・・・これでは、学ぶことは少しも面白くはないでしょう。そればかりか、学ぶ意欲そのものが削がれてしまう危険性もあります。
私見
仮に優秀で有名大学を出ていても、そうではなくても、社会に出れば、逆境、様々な葛藤、困難、戸惑いや「ついてない」と思われることを幾度となく経験させられながらヒトは成長を遂げていきます。
・・・・それらの過程で、ヒトは考える力を鍛えられます。
そしてその過程では、仮に専門的な仕事をしてきたとしても、様々な分野(死別、離婚、相続、他)でさらなる社会の仕組みに関する知識と知恵とが求められ、初めて社会では様々な分野の業務があり、それらの分野の知識の大切さが理解できるようになります。
しかしながら、どうやったら得か、どうやったら簡単かについては、自ら考えなければなりません。
もう一つ付け加えるなら、医師ほど仕事における責任が重大で、高い専門性がもとめられる職種は、他に余りないくらいです。
その一方で、知識は広いながらも専門分野に偏っていることから、多くは社会性に疎いのではないでしょうか。
・・・なぜなら、優れた記憶力で成績優秀である事(あった事)は当然である一方、「忘れる力」が極めて不足しており、それが人間関係にも影響していることは、それなりに理解していると思われるからです。