逆説の生き方2
逆説の生き方2
前回紹介させて頂いた外山氏の著書「逆説の生き方」の続きです。
もし、前回の事を忘れてしまったなら、すでに「忘れる力」は、一人前以上かも知れません。すなわち、優れた「忘れる力」を備えているということです。
前回の「逆説の生き方」の続きで、「美酒は看板を要しない」から紹介させていただきます。
「美酒は看板を要しない」(イギリスのことわざ)
英国でワインを作っていた旅館や個人の家では、ブドウの蔓(つる、bush)をドアや窓の外に掛け、そこでワインやビールが飲めることを旅人に示していたそうです。
Bush (つる) は酒神 バッカスの象徴でした。
・・・・つまり、ブドウの蔓(つる)が看板(宣伝)の代わりに使われていました。
しかし、すでに良い味で知られている旅館や家では、旅人が必ずそこに立ち寄るので蔓(つる)を戸外に垂らしておく必要はありませんでした。
ここから Good wine needs no bush. ・・・・優れた製品は、特に宣伝しなくても顧客が製品を求めてくることから、「美酒は看板を必要としない」と言うことわざがあるそうです。かつての伝統と格式を重んじるイギリスらしい品格を誇らないことわざです。
上の「ことわざ」をどう解釈するか?
情報化社会の現代では、広告宣伝費を多大にかけて、客を呼び込むことは、自己顕示であり、そこに多くの客が集まると、客は自分でワインの良否を判断する能力を退化させてしまうことにつながります。
・・・・似たような現象は、行列が出来る店としてメディアも取り上げたりするでしょう。
さらに、他の店がより派手な広告宣伝で客を集めると、「ワインの味の判断能力が低下した客は、簡単に他の店に行ってしまう」事になりもなります。
・・・・だからこそ、地道に良いワインを作り続けることに専念することが、派手な宣伝をしている店に勝てる。・・・・逆説ならぬ、逆転の人生訓です。
これは口下手なヒトでも、長く付き合っている内にそのヒトの良さがわかってくるようなものかも知れません。
「田舎の学問より京の昼寝」 ・・・・人生を大きくする存在
「田舎で一生懸命勉強するよりも、都会で怠けている方がかえって見聞を広める」という解釈があります。・・・これについて外山氏は次のように書いています。
田舎で学問をすればどうしても独学になる。周りに競い合う者も少なく、努力が続かない。
それに比べ、都会では他にも同じようなことを勉強している人はいくらでもいる。
競い合う気持ちはなくても、負けたくないと言う気持ちは持続する。
・・・・つまり、都会の方が勉強の効率が良いので、昼寝をするゆとりもあり、昼寝をしても田舎に比べれば勉強は進むと言うことを指摘しています。
スポーツでも受験でも同じような理由から、スポーツ有名校や人気予備校に人が集まり、また有名な受験校にも人が集まっています。
その環境では、周りにいくらでもライバルがいることで、緊張が継続し、トップになる事はかなり難しいだろうと思われます。
外山氏はその環境こそが大切であり、競争相手のいないところ、すなわち無敵な環境こそが大敵であると述べています。
上記の解釈は、同レベルの学力、運動能力、あるいは専門分野における能力であっても、競争心がなければ、さらに伸びていくことは出来ないことを意味しています。
しかしながら、世の中はそのようなライバルだけではありません。
半沢直樹のライバルは?
ライバルは常に自分と同期だけとは限らないからです。
同期や同僚ではないライバルとは、すなわち先輩であったり、上司であることもあり得るからです。
・・・今、人気沸騰中の「半沢直樹」のような立場なら、ライバルの多くは上司です。
問題は、果たして経験豊富な先輩や上司をライバル視し、そのような先輩や上司に負けまいと努力するかどうか?ではないでしょうか。
多くは、先輩や上司の指示なら、それに従うことが会社組織で生き残る最も自然な対応でしょう。
しかしながら、半沢直樹は闘わなければ、さらに左遷、降格に追いやられる緊張の環境に身を置いている点が、ドラマと人生の大きな違いかもしれません。
では、もし自分が追い込まれ、先輩や上司と向き合わなければならないとき、どう考え、どう判断するかが「人生を大きく左右する」だろう事は、容易に判断されます。
現実の社会では、十中八九、どころか九分九厘、先輩や上司に従うだろう思われます。
さて、ここで仮に半沢直樹のようには行かなくても、先輩や上司に従わない選択をするとどうなるでしょうか?
・・・・・当然、左遷され、降格され、場合によっては解雇されると予想されます。
さて、問題はここからであり、左遷、降格、あるいは解雇されたとしても、七転び八起きの人生を生きようとするかどうかです。
多くは解雇されれば、落ち込み、塞ぎ込んで、閉じこもりのニート状態に陥る危険性さえありますが、半沢直樹には生きるための闘争心しかありません。
その闘争心で、自己研鑽に努めるなら、十中八九どころか九分九厘、道は開けるだろうし、万が一、思ったような道が開けなくとも、自己研鑽を積み重ねる人生を力の限り生きるのではないでしょうか。
従順な者が勝者とされる社会
今の時代、大きな会社に勤めていても解雇されたヒトは、珍しくもありません。
人生におけるピンチもチャンスもどこにでも、いくらでもあるのが人生です。
しがみつく人生に転換して、寝返って生きるか、
闘争心を持ち続けることで、自己研鑽を積み重ねながらその後の人生を過ごすかは、自分次第ではないでしょうか。・・・仮に、逆転できなくても「人生を大きく生きた」事になるでしょう。
その理由は、社会から抹消(暗殺)された人物の多くは、アメリカでは歴史上の英雄が多いが、日本では権力を持つ立場の人物が少なくないことから、殆どが英雄視されていません。
・・・・現代社会の日本でもその傾向はあまり変わっていないのは、決定プロセスにおける議事録が現在もなお、残されていないのは「記録を残さないこと」を意図しているからに他ならないでしょう。
具体的には、世界でも希なほどPCR検査が少なく、その実施は行政検査とされていますが、専門家会議でもPCR検査を行政検査とすることを決定したプロセスを示す議事録はありません。
森友問題、加計学園問題など、いくらでもあるでしょう。
ACLSの研修でさえも、最も推奨される方法のみが正解とされ、「推奨」の次の「有用、有効、有益」レベルでは、間違いであるかのような指摘がなされているのが日本社会です。
すなわち、日本では上司に逆らうものは、左遷、解雇、場合によっては抹消され、推奨されていない方法は「間違い」とされる構造が維持されているからです。
・・・・このような社会で逆説の人生、逆転の人生を生きることは容易ではありません。