晴れの舞台 (3)脱落者
晴れの舞台 (3)脱落者
前回は「(2)舞台裏の暮らし」について述べました。
多くの組織や事業者で、リーダーとして期待される「昇進者」は、この新型コロナウイルス感染症の流行で「目標としていた業績」に届かず、追い込まれています。
実際、様々な業界大手のリストラ策や出向、賃金カットやボーナス停止などが次々と公表されています。
大手が公表している状態で、関連事業者がそれに追随しないはずがありません。
このような状況下では、どのような立場の人が「細々と生活を守り、次の年を見通す」ことが出来るのでしょうか?
脱落者
例えば、飲食店や個人小売り業なら「時短営業」を勧められる前から、すでに客が少なくて、開店休業状態のような店であれば、「要請されなくても、実質的に時短営業状態なので、協力金」は助かるのではないでしょうか。
・・・すなわち、「もう閉店しようかな?」と半ばあきらめ、挫折していた事業者にとっては、短期間ではあっても一息つける機会であり、細々と事業を継続できる可能性を見いだせるかも知れません。
同様に、「Gotoトラベル」でも客が戻ってこないような宿泊施設も、事業継続に困難を抱えていたのですから、「身の丈に合った経営に切り替えられるかどうか」で事業の存続がきまるでしょう。
その理由は、少なくとも業界大手ほどの大幅なリストラなどしなくても、すでに事業は縮小傾向にあったのですから、これ以上の挫折感は元々少なく、気は楽であることは間違いありません。
・・・この時、それまで「閉店を視野に入れていたような半脱落者」が少し明るい顔をして淡々と事業を継続したなら、「昇進者よりもはるかに明るい人生」を過ごせるでしょう。
そしてこれらとは反対に繁盛店やGotoトラベルで客足が戻ってくるような事業者は、「キャンペーン頼みの経営」に陥りやすいと考えるべきです。
なぜなら、今後何年間もキャンペーンを続けられるはずがありません。
・・・・結局の所、リストラと事業縮小を避けることは容易ではありません。
もちろん、首都圏で2020年の東京オリンピックにひと儲けを画策して「皮算用」を弾いて、設備投資や人材確保に奔走していた事業者などは、一溜まりもなく「身を引く準備をすすめる」以外の事業転換は困難と考えられます。
こう考えるなら、人生に晴れの舞台など無くても、「身の丈の生活を守れることで幸せを噛みしめる」ことが出来る程度の生活レベル、半ばやけっぱちな半脱落者のほうが、この新型コロナ感染症による経済危機を有利に立ち向かえる可能性があると考えられます。
<引きこもり>
これまで「引きこもり」と言われてきたよう人達は、新型コロナ流行時には、見方によっては感染拡大を控えた「模範的生活」の生活スタイルであることに評価される一面もあるはずです。
加えて、GoToキャンペーンだからといってはしゃぎ回るような振る舞いもないでしょう。
視点を変えれば、感染拡大する可能性の高い「GoToに補助金を出す」くらいなら、感染拡大を予防している「引きこもり」にこそ協力金を出したほうがはるかに感染予防に寄与する可能性が考えられます。
「盲亀の浮木(もうきのふぼく)」かも知れない
「盲亀の浮木」とは、出会うことが甚だ困難であることのたとえです。
また、めったにない幸運にめぐり合うことのたとえとされています。
2020年の現在の「コロナ禍(か)」と言われる状態は、少なくとも「盲亀(もうき)」、すなわち目の見えない亀に出会うほどの珍しい事態かもしれません。
この盲亀のたとえは、こちらを参照して下さい。
松下幸之助は、「窮境(きゅう・きょう)は尊いチャンス」と表現しました。
「窮境(きゅうきょう)」とは、非常に苦しい境遇・立場。窮地を意味します。
この「困難な状況」を松下幸之助は、尊いチャンスだと言うことを言っています。
その意味は、上のリンク先が示していますが、「困難といえども得難い体得の機会(チャンス)である。そう考えれば、苦しい中にも勇気が出る。元気が出る。
思い直し、気持ちを落ち着かせることで、心のなかに新しい知恵がわいて出る。
そして、禍を転じて福となす、つまり一陽来復、暗雲に一すじの陽がさしこんで、再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくる ・・・と言っています。
「一陽来復(いちよう・らいふく)」とは、冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、悪いことが続いた後で幸運に向かうことです。
世の中、自然災害もあれば、戦争や紛争もあります。
人類は、これまで幾多の自然災害と戦争とを経て、なおより良い社会、安全な社会、平和な社会を目指そうとして、それらに耐えられる仕組みを築き上げてきました。
これらを考えたとき、目先の利益や損得だけで判断せずに、果敢に挑戦する姿勢こそが問われているのではないでしょうか。
そして「挑戦しようとする時」に必要な事は、
失敗することを恐れたり、苦労することを面倒に感じて、なかなか積極的には挑戦しようともしないこと。
すなわち、「ただひとつの失敗は、挑戦してみようとしないこと」とアメリカの公民権運動活動家のローザ・パークス氏の言葉が「人種隔離政策のあった時代のアメリカ社会」で市民を勇気付けた歴史があります。
新型コロナが流行している今の社会にとっての共通の敵は、人種や民族間の問題ではなく、「ウイルス」である事から、一致団結して立ち向かうことに誰も躊躇(ちゅうちょ)する必要など無いはずの問題なのです。
協力して一緒に立ち向かいたいと思いませんか?
多くのヒトには、足下の生活を守るために必ず出来るはずです。 ・・・ただ、昇進者にはその余裕が余りないかも知れません。