晴れの舞台 (5)最後の舞台
晴れの舞台 (5)最後の舞台
最後の舞台
面と向かっては「触れにくい事で、避けては通れない事」が、人生における最後の舞台とも言えるのが「葬儀」です。
ここでは、地域的に偏りますが「沖縄の慣習」について、「死亡広告から読みとる介護と死の現在―沖縄ローカル紙から― 大城博美」を参考に、ご一緒に考えてみましょう。
(上のリンク先をクリックしますと、PDFファイルがダウンロードされます。そして下のリンクをクリックしますとブラウザーで開くと思います。)
死亡広告から読みとる介護と死の現在03886484_39_oshiro_hiromi
上記リンク先の報告によれば、沖縄ではローカル紙の死亡広告こそが「人生最後の晴れ舞台」と考えさせられます。
その理由は、次のようなものです。
1)沖縄における死亡広告は、死亡日時や告別式の告示に止まらず、家族親族などの氏名欄が大きい。
2)その結果、故人の家族親族関係をはじめ、友人・知人といった個人情報が一目でわかる。
3)更に、故人の地域社会との関係性を示す自治会を始めとする、様々な関係した組織やサークル活動的な関連も示される。
4)加えて、個人の家族親族等の職業や社会的地位などが示される。
5)その上で、親族の挨拶は「個人が人生をまっとうした事に対する尊敬と周囲への感謝」、「その生き方から学ぶ親族の気持ち」が現されている。
一件、面倒くさそうにも思われますが、私自身、親の人間関係についてはほとんど知ることもなく、また親がお世話になった方々も私がどんな仕事に関わった生き方をしているかについても、ほとんど知ることはないと思われます。
・・・すなわち、日本社会の多くの地域では、世代間の付き合いは、仕事以外ではほとんど無いに等しい。
つまり、同級生とその前後の先輩や後輩とは、一定程度の情報交換があっても、世代を超えた人脈は、仕事以外ではほとんど無いことに気づかされます。
他方、沖縄の死亡広告は、世代を超えた地域社会の人間関係の確認に大いに寄与しているように思われます。
そして、上のリンク先にある「事例8)2007年7月」には、次のような文章にあります。
「・・・・・・。 戦後の血のにじむ様な苦しい生活の中で5人の子育てに自分を顧みるいとまもなくがんばって参りました。
常に相手の身になって心遣いのできる姿勢に学ぶ面もありました。
これからは本人の生き方をよりどころにして参りたいと存じます。生前のご厚誼を深謝し謹んでお知らせ致します。」
上記の死亡広告は、形式的な挨拶のようにも思えますが、親族や次の世代が少なくとも 前の世代の生き方に感謝し、前の世代の生き方から学ぶことは、前の世代の人を尊重し、尊敬し、今後は自らの生き方に反映させていこうという遺族の意思の表れこそが「故人にとっての晴れの舞台」ではないでしょうか。
多くの地域で、冠婚葬祭の中でも、特に葬儀については、形式的になりがちで、「葬儀」そのものの意味が薄れつつある日本社会で、沖縄のような死亡広告の慣習は、地域社会の中で世代を超えて人のつながりを確認できる機会をもたらしている点で考えさせられる慣習のように思われます。
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