晴れの舞台 (4)「晴れの舞台」から「針のむしろ」状態へ
晴れの舞台 (4)「晴れの舞台」から「針のむしろ」状態へ
2021年1月11日は、成人式でした。
新成人にとっては「晴れの舞台」ですが、世代の異なる私にとっては違和感を覚えます。
子供を20歳まで育てたご苦労は、ご本人よりもそれぞれの親が子供を育てる責任を一定程度果たしたと言える、あるいわ言われるところまで成し遂げた一つの区切りのように思います。
ここから先は、本人の自覚と責任で歩み始めることになるわけですが、それでも多くの親はその歩みを心配しながら見守っておられるのではないでしょうか。
このように考えますと、新成人が着飾ることは、お膳立てをしてもらった上で、「自作自演の主役」を演じたに過ぎません。
どのようにお祝いをされても、何ら社会での具体的な役割を担っている成人は少なく、多くはまだ学生であったり、会社でも指導を仰ぐ立場であって、それぞれの将来像は必ずしも明確ではない成人が少なくないように思われます。
もし将来に対して明確な高い目標がある成人は、期待よりも不安のほうが多くて「成人式」どころではないと考えておられるように思います。
若さゆえに、何にでも挑戦していくことも出来ますし、夢と希望に満ち溢れている成人もいるでしょう。
その一方で、将来に対する目標を見いだせず、不安と焦燥にかられている成人もいるでしょう。
どうか、その不安に打ち勝つための下積みを黙々と歩んでいただきたいと思います。
「晴れの舞台」から「針のむしろ」状態へ
管政権にとっては、冷え込んだ日本経済に対して、経済対策を打ち出すことは、総理としての「晴れの舞台」だったに違いありません。
支持率も落ちています。
ところが何の科学的裏付けも持たずに打ち上げた「GoToキャンペーン」のような経済対策に、「国民はもう大丈夫なのだろう」と思い込んだかのように見えます。
国民にすれば、一安心を与えられ、旅行や食事に助成金が出されたのです。・・・何とも美味しい話です。
しかしながら、現状を見れば、旅行や食事に税金を使うという点でもあまりの愚策であった事は明らかです。
加えて、感染の広がりを抑え込むことが出来ないばかりか、反って広がりを拡大させた可能性を批判されても否定できていません。
結果的に、「晴れの舞台」から、各地の地方知事や医療界からも批判され、「針のむしろ」状態へと陥り、一時的にGoToは、ストップせざるを得ない状態です。
そんな中、東京都医師会、日本医師会そしてようやく、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長までもが政策を批判し始めました。
そして今更、新型コロナウイルス特措法改正と言ったところで、「GoToキャンペーンに未練があるらしく」、やる気の無さは明らかです。
政治家の日常を取り巻く業界団体にはカンフル剤と考えていたことが、マスコミの批判の矢面に立たされてしまいました。
さらには、今頃になってベットは備えても看護師が足りないと言う状況です。
これは看護師を含む医療業界全体の労働環境の改善に手を付けてこなかったからです。
看護学校を増やすよりも,看護師としての仕事を継続しやすい労働環境整備の遅れまで、この場になって取り組むのかどうかさえ疑問に思われます。
さて、政権トップであって、メディアのマイクの前では自粛生活を訴えていながら、自らは集まって忘年会をしていました。
これでは国民に対する説得力はありません。
今後、国民に何かを語っても、訴える力は自らの行動により、削がれてしまうことは明らかです。・・・国民は話を半分程度として聞くのではないでしょうか。
リーダーとして、今後どうやって国民の信頼を取り戻せるのでしょうか?
二兎を追う者は一兎をも得ず
政府が経済再生を目指した目玉政策である「GoToキャンペーン」が何故、これほどまでに批判されるのでしょう?
新型コロナ対策を「感染抑制」と「経済活動再開」の両立を狙ったつもりの政策でした。恐らく、党内での議論など無かったのでしょう。
つまり、良かれと思っただけだったのです。
しかし結果は,ご覧の通りです。その原因は、次の二つにあるのではないでしょうか?
1)感染を防ごうと緊急事態宣言を出せば飲食業や観光業、イベント関連などの事業者が苦境に陥ります。
2)他方、経済活動の再開を急ぐとクラスターが発生し感染が拡大してしまいます。
・・・「あちらを立てればこちらが立たず」の関係ですから、「二兎を追う者は一兎をも得ず」の事態を招いたいと言えそうです。