順応力(3)
順応力(3)
今回は社会環境に対する順応性、適応力について考えてみましょう。
社会環境に対する順応性、適応力
一口に社会環境と言っても、第三者委員会について思う事(1) で紹介したような学校や組織・団体に身を置いた場合、順応することや適応することが良いことではないはずです。
それどころか、おかしな事に対して毅然とした判断力を維持し続ける事が困難になった結果、人命を失い、あるいは取り返しのつかない組織的な責任を負う事になったのではないでしょうか。さらに、それらの問題が発覚した後でさえ、真相を隠蔽したり、責任を曖昧にしたり、いつまでも我関せずのような「知らない振りをする」対応しか出来ていません。
また、学校でいじめの問題があってもその問題を指摘し改善の方向に働きかける大人がいないなら、そのような環境の子供達にとって学校はもはや教育の場ではなく、問題には関わらない子供しか育たない結果にならないでしょうか。
これらのことを考えると、結果を求められる成績至上主義の社会環境では、順応性や適応力よりも、もっと必要な能力もある事に気がつかなければならないと考えます。
学歴と実績が豊富でも尊敬されない政治家が多いのはなぜか?
選挙では、立候補者の多くが優れた学歴や経歴をもっておられ、それらの方々が選ばれていますがいつまで経っても政治家が尊敬されている社会ではありません。
スポーツでも勉強でも優秀な成績や結果を出したからと言って、それらの人達がしっかりしているなら、なぜ 第三者委員会について思う事(1) で示したような運動クラブやスポーツ団体、原子力発電所に関連する様々な問題(いい加減な安全性検査チェック、施設内事故の隠蔽など)が隠蔽されてきたのでしょうか。
つまりヒトは、どのような優れた力(知力、実践力、体力、コミュニケーション力、権力、経済力など)を持っていても、今持っている力を何のために発揮しようとしてるかと言う目的こそが一番大切なのではないでしょうか。
学校や会社あるいは社会でいじめられているヒトや困っているヒトを支えきれないとすれば、組織としてすでに危険水域に達しているのかも知れません。
困っている側に立って物事を考えるのか、困らせる側に立っているのかを自らに問い直す事も必要ではないでしょうか。
そして組織内の問題を指摘できないとすればすでにその組織は、自律の道を外れ、第三者委員会を必要とする事態に陥っているのかも知れません。
一人一人が自分のいる組織内で第三者委員会を設置しなくても良いように働きかけたいものです。